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下山
【したやま】


戦国末期に見える地名。新川郡のうち。元亀3年4月23日付の長尾景直書状に,飛彈の塩屋秋貞が上杉謙信に離反して下山に退き,同22日猿倉(さるくら)山に登って飛彈(岐阜県)の者に城の修理を命じたとある(歴代古案/県史中)。5月24日付の鰺坂長実書状によると,井上肥後が舟倉城にこもり,猿倉の塩屋と連合して太田保内に2~3度も進出した。新庄城の上杉方の留将鰺坂(あじさか)長実は兵を出してこれと戦い,下山口まで追い込めた。なお鰺坂は19日に魚津城将河田長親の兵を招いて吉江佐渡守を差添えて太田本郷に陣取らせた(上杉文書/大日古)。ここにいう下山とは江戸期に常願寺(じようがんじ)川山手を意味した下山の範囲よりも広く,ここでは舟峅(ふなくら)あたりの山を指している。天正6年謙信が卒去すると織田信長方の神保長住が越中に還住しようとする。神保は斎藤新五などの援助により太田荘に勢力を確立する。しかし信長が本能寺の変にたおれると上杉景勝が越中に再進出する。天正10年2月神保覚広が景勝に帰属すると景勝は奥田・太田・入部など11郷村を知行させているが,そこに下山一円も含まれている(川辺氏旧記/越佐史料)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7602868