金生山
【きんしょうざん】

俗に赤坂山ともいう。大垣市赤坂町と揖斐(いび)郡池田町にまたがってある山。標高217m。南北約1.1km・東西約1.1km。今は金生山と総称しているが,くわしくは金生山・更紗山・愛宕山・月見山・花岡山などに分かれている。南北朝期の建武5年南朝方の北畠顕家は,奥州より西上の途中青野原で高師冬の軍と戦った。同2月6日今川範国が山城国御家人松井八郎助宗に与えた軍忠状に「美濃国赤坂北山并西縄手合戦」とある。赤坂北山は赤坂北部にある山の総称であろう。山頂は傾斜も少なくかなり平坦である。濃尾平野を形成した養老伊勢湾断層が山の東側を南北に走り,濃尾平野を一望できる。全山石灰岩から成り,地質学的には古生代の二畳紀の中期~後期に属し,また前期層は露出していないが存在が推定される。石灰岩中にはフズリナ・有孔虫など多くの化石を含む。明治以後石灰工業・大理石工業が発達し,露天掘りの採掘が進み,今後20年もすれば資源がつきるといわれる。金生山の名は古くから知られ,その名の示す通りかつて金属が掘り出されたことが察せられる。中でも赤鉄鉱はベンガラ(べにがら)や製鉄の原料として第2次大戦後盛んに採掘されたこともあった。また,戦後の食糧難のころ金生山開拓団が結成され,山頂付近の平坦地を開墾し,果樹・陸稲・甘藷などを栽培,昭和25年には入植者28戸・開拓地26町歩。山上には宝光院(明星輪寺)があり,真言宗で弘法大師の開基といわれ,大師作といわれる虚空蔵菩薩を安置しているので,「虚空蔵さん」として親しまれている。仁王門北西に安置されている木造地蔵菩薩半跏像は藤原期のもので国の重要文化財(新撰美濃志)。江戸期には領主の保護を受け,万治3年大垣藩主戸田氏信は寺領10石を寄付している。山麓には金生山神社・金生山化石館がある。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7603822 |





