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牛窓往来
【うしまどおうらい】


江戸期の岡山城下から牛窓(邑久(おく)郡牛窓町)に至る道。全長6里28町。道筋は門田から東山峠を越えて,湊―円山―倉富―沖新田(以上旧上道郡,現在岡山市)を経て,倉安川沿いに東に向かい,金岡湊(西大寺の外港,現在は岡山市)に至り,金岡の渡しを渡り,新―乙子―神崎―邑久郷―阿知(旧邑久郡,現在は岡山市)を経て,千手―牛窓(以上牛窓町)に至る。倉安川は,延宝7年津田永忠により,吉井川と旭川を結ぶ高瀬舟の運河と新田用水を兼ねて開削された。円山には元禄11年創建の岡山藩主池田家の墓所のある臨済宗曹源寺がある。終点の牛窓は,古代から瀬戸内海の船泊りとして知られ,中世以後は木材の集散,造船・製塩の中心地であった。特に江戸期には朝鮮通信使の停泊地となり,港を見下ろす日蓮宗本蓮寺がその宿所にあてられ,岡山藩の儒臣たちが交歓した。天明9年1月この往来を歩いた司馬江漢が牛窓から金岡間を「さていなか路風烈しく,風を防き休むべき所なし。誠に烈風骨肉を透とは此事なり。三里を過て,奥の郷と云ふ処にて一軒家あり。爰にて酒を買て呑,少しいきをして,夫より走りて川あり。舟にて渡る」(西遊日記)と記している。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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