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打穴川
【うたのがわ】


県の中央部を流れる川。倭文(しとり)川の支流。延長9.0km,流域面積22.2ha。久米郡中央町境字宮ノ乢に源を発して北北東に流れ,打穴上・打穴里・打穴西を経て,同郡久米町戸脇で倭文(しとり)川に合流する。久米南町との境界に位置する筒の宮山・高坊山の西麓と,郡内最高峰の二上山東麓からの水流を受け,東の皿川とほぼ並行に流れる。流域の丘陵地帯は葉タバコ・トマト・キュウリを栽培する畑地,川沿い低地は水田地帯となっている。上流から中流の打穴里にかけては中生代末期に墳出した安山岩類,下流域は流紋岩・花崗岩で構成される。流域の開発は弥生時代までは確実にさかのぼることができるが,最も顕著なのは古墳時代後半の円墳で,約70基を数えることができる。ことに打穴西字花の木に位置する唐臼墳墓群は古墳後期の3基と,奈良期の火葬墓が共存することで知られている。「和名抄」に見える錦織(にしこり)郷の南半が流域にあたるが,中世には打穴保・打穴荘が錦織郷から分かれたと推定される。南北朝期の暦応元年には,足利尊氏が小早川景宗に打穴荘上下村の地頭職を勲功として与えており,同3年,北朝光厳上皇が円満院入道尊悟に垪和東西荘などを安堵した記録がある。その後の流域の記録は不明で,桃山時代には宇喜多,近世には小早川・森の支配となる。森の断絶後は分断支配で明治期に至り,打穴村・大垪和村を経て,現在中央町の2大水系域の1つとなっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7605857