100辞書・辞典一括検索

JLogos

6

藤ケ谷鉱山
【ふじがたにこうざん】


玖珂(くが)郡美川町と周東町の境をなす五仙峠一帯に所在するタングステン鉱山。田代集落から東川支流の田代川の渓谷をさかのぼると採鉱事務所に至る。ここが現在ただ1つ採鉱中の明見谷2番坑の坑口で,標高487m。坑道の総延長は10km弱,深い所は坑口より-140mにあたる。なお鉱山事務所と選鉱場は,採鉱事務所より約1km,五仙峠を北側に越えた所にあり,選鉱場の前には選鉱の際生じる廃砂の堆積場がある。鉱床はスカルン型高温交代鉱床と,タングステンを含む石英脈鉱床とからなる。鉱床の形態は,扁平なレンズ状,円筒状,あるいは石灰岩の周辺部を皮殻状に交代したものなど様々である。これらと石英脈の交差部に富鉱部が形成されている。鉱石鉱物は灰重石をはじめ,黄銅鉱・磁硫鉄鉱・閃亜鉛鉱など。開発は明治20年頃で,最初は喜久鉱山と称して銅鉱を採掘していた。同42~44年に喜和田・喜久・玖珂の3鉱山で灰重石が発見され,タングステン鉱の採取を開始。第1次大戦勃発で需要が高まるにつれ,タングステン鉱の生産が増え,大正5年から同9年までに187tを産出した。その後需要減で休山したが,昭和12年には藤ケ谷鉱山と改称し,タングステン鉱を採掘,同13,14年頃は従業員200名に達した。同26年日本鉱業が鉱業権を買収,藤ケ谷探鉱所となり,同30年には日本鉱業河山鉱業所の支山として月量300tの選鉱場を建設し,タングステンの採鉱を開始,一時は社内有数の高収益鉱山であった。同38年市況悪化で休山,同41年日本鉱業の子会社鐘打鉱業が鉱業権を譲り受け,翌年新選鉱場が完成,月産1,200tの処理能力となった。同57年には鐘打鉱業より分離独立して藤ケ谷鉱山を設立。最近の価格の低迷により,近く閉山の予定である。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7606359