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海の中道
【うみのなかみち】


福岡市東区から粕屋郡新宮町に続く陸繋砂州。新宮町にある古第三紀層の露出した磯崎鼻付近から西の東区志賀島まで,玄界灘と博多湾を分けるように細長く続く。長さ12km,幅0.5~2km。志賀島との間の満切は海が通じ,橋により連絡する。玄界灘側は博多湾方向に湾曲した弧状を描き,砂丘が発達,防風保安林としてクロマツ林が繁茂している。博多側に海の中道の最高所で,古第三紀層の大岳(41m)が露出,東の西戸崎や雁ノ巣(がんのす)では南に砂嘴が発達し,際立って幅が広くなっている。西戸崎は明治期に粕屋炭田の積出し港として香椎線の前身の鉄道が敷かれ,さらに大岳からも採炭され石炭基地として栄えた。雁ノ巣には昭和11年に水陸両用の民間空港が開設され,第2次大戦前は,東アジアの航空網の中心であった。戦後は西戸崎~雁ノ巣間が米軍に接収され基地となったが,昭和47年に返還され,雁ノ巣レクリエーションセンター,海の中道海浜公園として生まれ変わった。海の中道の基部にある奈多(なた)の集落は,早くから半農半漁村として開けたが,都市化が進み,福岡市のベッドタウンとなりつつある。なお,「続風土記」では,海の中道と呼ばれる所は宗像(むなかた)郡の「勝浦村と梅津の間」と粕屋郡「奈多浜」の2か所ある。後九条内大臣の「秋の夜の潮干の月のかつらかた山まてつゝく海の中道」という歌を挙げ,奈多浜は「山まてつつく」という情景に合わないことから,宗祇の「指南抄」にいう「海の中道,桂潟宗像にあり」という説に基づき,宗像郡の方を海の中道としているが,地元では奈多浜を海の中道と呼んでいるとも記す。宗像郡の勝浦浜では寛文11年から干拓が進み,その景観が失われて,奈多浜にのみ海の中道の名が残ったものと思われる。明治33年の2万分1地形図では「俚称海中道」と記される。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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