100辞書・辞典一括検索

JLogos

7

北広田村
【きたひろたむら】


旧国名:筑後

(近世)江戸期~明治9年の村名。筑後国山門(やまと)郡のうち。矢部川と飯江(はえ)川の間に広がる平野の中央部よりやや東北に位置する。中世には小広田と見えるが,北広田のことと考えられる。文禄4年の筑後国知行目録には北広田村として841石8斗9升と見える(立花文書/県史資料4)。柳川藩領。竹井組に属す。村高は,「元禄国絵図」854石余,「天保郷帳」969石余,「旧高旧領」では南広田分を分けて記し北広田村377石余・南広田村685石余。江戸後期に南広田村を分村したのであろう。明治5年の反別は28町9反余(郡郷/立花家文書)。用水は,広瀬堰により取水し,丹花・横尾両堰を経てもたらされる。安政3年北広田・松延・草葉・本吉の4か村で水喧嘩起こる。村社は八幡神社。法泉寺は寛永4年僧覚覧の開基,初め浄土宗,のち真宗西派に改宗。浄土宗金台庵は享和元年弥四郎村に移る。明治9年松田村の一部となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7607169