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五ケ村用水
【ごかそんようすい】


嘉穂郡穂波町から飯塚市を流れた灌漑用水路。主に,現飯塚市域の,穂波郡の片島・幸袋・中・柳橋・目尾5か村を流れた。文化年間の5か村の反別は田103町5反,畠90町5反で,他村に比べ畠が多く,灌漑用水は常に不足であった。文化6年にも干害に見舞われ,中村の大庄屋清水宅右衛門は,穂波川からの引水により32町余の新田開発と60余町の水田の灌漑を計画。5か村の庄屋と協議し,徳前地区から目尾までの用水路の計画案を藩に出願し許可されたが,その年の大旱魃のため実施に至らなかった。文政10年,用水取り込み位置を徳前地区から穂波村若菜に移し目尾までの用水施設案を再願。翌年,許可が下りる寸前,大洪水のため着工中止に至った。その後も出願を繰り返し,天保6年,穂波村若菜から目尾村波打まで3,279間(5,934m)が着工。人夫延べ4万人,工賃1,820両,工期3年2か月を要して天保9年5月下旬に完成。途中に片島(43間)・飯塚(96間)・徳前(9間)・若菜(14間)の4隧道があった。天保11年の大洪水で破壊された水路の補修,同14年の穂波村秋松での井堰の新設などを経て,明治13年の改修工事に続く。用水路敷地は日鉄二瀬鉱業所の鉱区内にあったため,水路が陥落し流水に支障をきたして水量を減じた。昭和3年に若菜堰付近,同4年頃に飯塚納租八幡宮地下の隧道が陥落,同6年には片島小学校付近が陥落し,通水が困難となったので板箱樋で仮補修。昭和7年には恒久的なコンクリート箱樋を作ったが,陥落が激しく,一部では樋底が90~125cmも高くなった。戦後は,新北代炭鉱による溝の陥落もあり,日鉄鉱業の応急ポンプで命脈を保っていたが,昭和34年,県営事業による笠城ダムが竣工し,五ケ村用水は任務を終えた。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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