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蛭池組
【ひるいけぐみ】


旧国名:筑後

(近世)江戸期の組名。久留米藩領における広域行政区画である大庄屋組の1つ。筑後国三潴(みずま)郡のうち。当組に所属する村は,文化4年には田中・大藪・小入・中・野口・定覚・中野・侍島・蒲生(かもう)・吉祥・蛭池・奥牟田・筏溝・南中牟田・下古賀・井ノ手・金納(かんの)・高橋・荒牟田・本園・立石・矢加部の22か村(農政農民史料集)。宝暦年間頃の「在方諸覚書」によれば,所属村は22か村,古高1万3,740石余・役高9,985石余。文化4年の石高(内検高)は本地1万4,377石余・開方590石余,反別は本地546町余(うち田528町余・畑田1町余・畑8町余・居屋敷8町余),この物成4,283石余,開方44町余(うち田24町余・畑田7畝余・畑20町余),この物成179石余(農政農民史料集)。宝暦7年の竈数677(御旧制調書/久留米市史)。大庄屋は,寛永19年に蛭池村七郎兵衛,元禄8年も同じ(家勤記得集/同前),宝暦年間頃は平木清兵衛(在方諸覚書)。文化年間には塚本氏で,天保13年に平木氏に交代(矢賀部家文書/久留米市史)。文化年間以降に今松組と改称。現在の大木町・柳川市の各一部にあたる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7607318