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千栗土居
【ちりくどい】


三養基(みやき)郡北茂安(きたしげやす)町と三根(みね)町を結ぶ堤防。寛永年間,成富兵庫茂安が北茂安町の千栗神社下から下流の三根町坂口までの長さ12kmの大堤防を12年間かけて築造し水害を防いだ土居をいう。堤防の大きさは高さ4間,馬踏2間,表裏2割勾配,川表犬走9間,川裏3間,堤敷合計33間の広さで,川表に竹を,川裏に杉を植え,巨大な遊水地をもって水難に備えた。堤防は二重になっており,流路に近い外土居と内側の内土居の間は100間余の間隔を設けた。完成後は水害を被ることがなくなったが,代わりに対岸の久留米藩がしばしば水害を受けることになり,そのため鬼兵庫ともいわれた。現在では流路に沿う堤防が強化され,千栗土居は削平されて昔の面影を探すことは困難になっている。また杉林も現在まったく存在しない。明治22年市町村制施行の際,千栗土居の恩恵を受けた流域の住民が,彼の名前をとって,北茂安・南茂安(現在の三根町)2村が誕生した。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7607482