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南有明村
【みなみありあけむら】


(近代)明治22年~昭和30年の杵島(きしま)郡の自治体名。牛屋村と横手村の2か村が合併して成立。旧村名を継承した2大字を編成。役場を牛屋に設置。明治24年の戸数654・人口3,733(県統計書)。白石(しろいし)平野南部に位置し扇形の地形をなし,その末広の海岸線4kmが有明海に面す。米麦を主産とする水田地帯。水利は牛屋が杵島山麓田野上の梅の木谷溜池,横手が北方村の焼米溜池をそれぞれ利用。大正3年8月18日から1週間強風が吹き続き,同25日津波によって海岸堤防が崩壊。土居底幅約30m・高さ4mの六千間土居も各所で決壊。激流は海岸より約1kmの松土居でくい止まる。このとき搦(からみ)の民家12戸流失,半倒壊27戸で健在民家なし,死者1名。民家は漁家でその船が松土居に折り重なった。同月27日になって漸く減水したが,藁くずやごみが田圃を覆い稲田約500町歩は枯死した。佐賀県会では高潮被害復旧費53万5,395円を可決(県会議事録)。地内東部の松土居(五千間土居)は寛永年間の築造。明治期までは松並木が存続していた。江戸中期には六千間土居を築造。江戸期の干拓に続いて,明治・大正期にも干拓が進行し,搦として地名に名残をとどめている。明治期は明治搦・大黒搦・嘉蘇栄搦・奥種搦・恵比須搦の5搦。大正期は大正搦・大五搦・木森搦の3搦。昭和になって鹿清搦を築立。搦の安全を祈願して海神沖神社石祠を堤防に建立,「オンガンさん」と通称。現在は谷神社に寄せ神として3基を移転し,旧堤防に4基が残存。これら沖神社石祠には神名・舫頭名・干拓年・埋立完工年・災害などを刻銘。昭和30年9月有明村と合併してその一部となり,村制時の2大字は有明村の大字に継承。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7607529