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矢張・依然
【やはり】


yahari

【近代】〈やっぱり〉、ときに〈やっぱ{やっぱ}〉とも。1)もとのまま、2)それにもかかわらず、3)まちがいなく。[中国語]仍然、依然、果然、還是。still, also, after all.

【語源解説】
〈矢張〉は宛字ではなく、武士が弓に矢をつがえて、まさに放たんとするごくしばらくの間、弓に矢を張りじっと体を動かさず待つ状態、そのままが原義。〈なほ(猶)〉にも通じ、派生的に矢をまさに放つという点でただちにの意としても用いた。さらには、〈それにもかかわらず〉とか、〈まったく、まちがいなく、案(あん)の定(じょう)〉などの意も派生。訛って、ヤッパレ、ヤッパリ、ヤッパシ、ヤッパ(ラ行音のリの{らぎょうおんのだつらく@ラ行音の脱落}脱落)など。

【用例文】
○老タト云テヤハリアタヽカニシテイテヨイ物ヲクウテイル/此様ナ中風モ又アルゾ、手足ヲチットモヤハリヲカズシテ置キカユル病者ガアルゾ(史記抄)○Yappare. ヤッパレ〔ヤッパラカイデの表記でもみえる〕静かにしていること、ヤッパレゴザレ=身体をゆすらないで静かにじっとしていなさい(日葡辞書)○其(その)侭(まま)そこにあれと云べきを、{○}やっぱり、やはり、やっぱしなどいふは如何。此うちにもやはりといふこと葉、若(もし)矢(や)張(はり)の字(じ)歟。弓(ゆみ)に矢(や)を引くはへてむかふ敵(てき)を射(い)すまさんと心にくすみて待(まち)まふけたるやうのこと歟(嘉多言)○やはり初の句ならば三十棒なるべし(芭蕉)○やはりそのまゝと云ふに用る詞也(志不可起)○自恁mini{ヤハリ}(中夏俗語藪)○ナニサ、やっぱ櫓(やぐら)がすそつぎがよふござんす/やっぱりもとの東(ひが)し遊(あそ)びにもどるがおほし(洒落本)○やはり 其(その)任(まま)なる事にいふ俗語也。矢張の義なるべし、……土佐人はやほらといへり(倭訓栞)○やはり手で蝿を追ってる強い聟(むこ)(川柳)○見てをられませんからやはり店(みせ)の方のお手(て)つだひをいたしてネ/やっぱり能(いゝ)事(こと)と思って誤(あやまり)伝(つた)へるのよ(浮世床)○明(あ)日(す)お出(い)でよ……人が来たりして矢張都(つ)合(がふ)が悪い(人情本)○ヤハリ 仍mini{〈俗語〉}still, yet, also, likewise. ヤハリモトノトウリ。同義語 ナオ(ヘボン)○自分は依様(やっぱり)彼には恋着している(長田秋濤)○依然(やっぱり)(須藤南翠)○猶且(やはり)其方(そちら)の身の上に就いて善かれと計(はから)ひたい(尾崎紅葉)○今思へば姫は矢(や)張(はり)基督教の民なり(森鴎外)○矢(やっ)張(ぱ)し顔を怪(け)我(が)しまいと思って(小杉天外)
【補説】
〈矢張〉と類縁の表現に、〈矢(や)庭(にわ)に{やにわに@矢庭に}〉(タダチニ、間髪ヲ入レズ)がある。これも矢を射放つ場(にわ)の意から、対するものをタダチニ射殺せんとするところからでた表現。『保元物語』(12世紀末)に、〈矢(や)庭(には)にいらるゝもの五十三人〉をはじめ、『義経記』(14世紀後半)に、〈究竟の者ども五六人矢庭に切り給ふ〉、『日葡辞書』に、〈Yaniua, yaniuani. ヤニワ、ヤニワニ=すぐさま、そのときに〉、『wari{易林本}{小山板}節用集』にも、〈矢(ヤ)庭(ニワ)〉とみえ、現代と同じ用法をみる。西鶴なども、〈一人をば矢(や)庭(にわ)に切(きり)ころし〉(武道伝来記)を用いている。さらに、『早引節用集』(1751)に、〈矢(やに)庭(はに)〉、ヘボン『wari{和英}{英和}語林集成』(1886)〈ヤニハニ、矢庭ニ〉とみえる。現代語として〈矢(や)庭(にわ)にたちあがり(尾崎紅葉)〉とあり、表記は定着して現代に至る。




東京書籍
「語源海」
JLogosID : 8538200