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18

落語
【らくご】


rakugo

【現代】寄席の話芸の一。〈落(おと)し咄(ばなし){おとしばなし@落(おと)し咄(ばなし)}・咄(はなし){はなし@はなし(噺・咄)}〉とも。滑稽な短い話の末に、巧みにオチ(落(おち)、下(さげ)とも。洒(しゃ)落(れ)のポイント)をつけて、笑わせる話。[中国語]滑稽故事、単口相声。comic story.

【語源解説】
中国で〈落(ラク)語(ゴ)〉また〈諢(コン)話(ワ)―{2}『諢(おどけ)話(ばなし)浮世風呂』(1809~13、式亭三馬)〉などと用い、日本はこれを借用。落は落着の言い方があるように、落語も話の結末にオチのあるところからの命名。したがって、これ自体には滑稽の意はないが、中国で、まじめな話の終りに滑稽で、〈{いとかたなともえ}倒セザル莫(ナ)シ〉(方洲雑言)などのシャレ、ウィットのきいた落(おち)で終る話し方であった。こうした点から、〈落語(おとしばなし)〉が成立(落しの咄→落し咄)。ハナシは口から放すの意という(本居宣長)。日本では〈はなし(咄)・軽口(ばなし)・おどけ咄・笑話・私(し)可(か)多(た)(仕方)咄(はなし)〉などとよばれた。明治期にはいって落(ラク)語(ゴ)が成立。西鶴作品に、〈夜のながきを重宝に、おとし咄も耳馴れ〉(武道伝来記)など、他にも〈落し咄・落(おとし)噺(ばなし)〉がみえる。おそらく西鶴の例が〈おとしばなし〉の初見に近いであろう。これが上方より江戸へ移り、江戸でオトシバナシが盛んとなった。江戸末期に、〈落(ラク)話(ワ)〉がみえるが、明治期にはいると、当時の漢語尊重の風潮もあって、〈落(ラク)語(ゴ)〉と音読に落ち着く。元禄7年(1694)刊『正直咄大(おほ)鑑(かがみ)』に、〈はなしの仕様 それはなしは一がおち、二が弁舌、三がしかた〉とあり、いわゆる落語の原型は17世紀には確立した。また表記として、〈落語〉(オトシバナシとよむ)の初出は、天明7年(1787)刊『wari{新作}{落語}徳治伝』であろう。これは当時、中国からの影響もあってこの表記をとったと思われる。ただしラクゴの音読は明治24年(1891)7月刊、雑誌「百花園」にみえる例などが初出。なお江戸期も〈話(はなし)〉は俗字で一般には用いず、〈咄・噺〉が一般的。〈話(はなし)〉はごく新しく、19世紀になって一般に用いられるようになった。文字〈咄〉も〈噺{はなし@はなし(噺・咄)}〉も日本独自といえる。ただし〈咄〉は中国漢字の転用。口から出すの意で用い、〈噺〉は日本人の創作。

【用例文】
○人も面目がらぬ落(おと)し咄(ばなし)/仕方はなしをするおとこ山(西鶴)○『新落(おとし)噺(ばなし)初鰹』/『wari{新作}{落語}徳(とく)治(じ)伝』(咄本)○我ながら是等(ら)は落語に為(なり)さうだ。イヤまだをかしい事があったのさ/唐にも落(おとし)咄(ばなし)がありますかネ/落(らく)話(わ)家(か)、咄(はなし)家(か)/落(おとし)話(ばなし)をする手(て)合(ゑへ)さ/落(おとし)話(ばなし)に為(し)さうな実説が多くあるものさ(浮世床)○三笑亭可(か)楽(らく)が落(おとし)話(ばなし)を聞く(浮世風呂)○落語家、林屋正蔵(馬琴)○おとしばなしもをかしくっていゝけれど根(ね)がこしれへものだから(安愚楽鍋)○私(わちき)は落語(はなし)よりは、講(かう)釈(しゃく)の方が好(すき)だから(西洋膝)○オトシバナシ 落語(ヘボン)○小三、円遊などの真似を致しまして、落(らく)語(ご)を申上げまする(百花園)○後(あと)になって落語(はなし)家(か)の遣(や)る講釈師の真似から覚えた/落語(はなし)か。落語(はなし)は好きでよく牛込の肴町の和良店へ聞きにでかけたもんだ(漱石)○子規も落語は大変好きでありました(高浜虚子)○義太夫も落(らく)語(ご)も総じて寄席はもうすたりでさ(永井荷風)○小三、円遊などの真似を致しまして、落(らく)語(ご)を申上げまする(百花園)
【補説】
現代中国語と明(ミン)代以前の中国語とはかなり異なる。むしろ日本に古い中国語が残存している。なお、〈話〉の本字は〈{いううじくち}〉。これが字形変化して〈話〉となった。したがって、話は言(いう)と舌(した)の組み合わせではない。明治期にはいっても初期はオトシバナシ(落咄・落話・落語)が一般的。『日本大辞書』(明治26年刊)に、見出し語としてはラクゴはなく、〈おとしばなし〉で、解説中に、〈ラクゴ〉とある。




東京書籍
「語源海」
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