早わかり日本史 第5章 近代化する日本 明治維新から太平洋戦争へ 234 言論と思想は常に弾圧されてきた ◎民権運動を弾圧する法律 言論・思想の自由を統制・弾圧する法律=治安立法は、以下の7つを知っておきたい。「新聞紙条例」「讒謗律[ざんぼうりつ]」「集会条例」「保安条例」「治安警察法」「治安維持法」「破壊活動防止法」である。 「民撰議院設立建白書」をきっかけに全国に広まった自由民権運動だが、その広告塔となったのが新聞社だった。そのため政府は1875年、新聞紙条例を出して、国家転覆や教唆扇動[きょうさせんどう]をとなえる新聞を発禁処分とした。同時に讒謗律と称するわが国初の名誉保護法をもうけた。誹謗中傷[ひぼうちゅうしょう]で人の名誉を傷つけた者に罰金や懲罰を課すものだが、新聞紙条例とともに民権家の活動を封殺する手段に用いられた。ちなみに福沢諭吉ら明六社のメンバーは、弾圧を嫌い『明六雑誌』の廃刊を決めた。 ただ民権運動は終わらず、1880年に国会期成同盟が成立したので、政府は集会条例を発令した。政治結社の設立や政治集会は、事前に当局の許可を必要とし、不適当なものは即座に解散させるという内容である。 保安条例は、星亨[ほしとおる]の大同団結運動と片岡健吉らの三大事件建白運動(地租軽減、言論集会の自由、外交失策の挽回)を懸念して1887年に出された法律。とくに、内乱を陰謀教唆し治安を妨げる恐れのある者を、皇居外3里(12キロ)の地に放逐し、3年間立ち入ることを禁ずるという条項が特徴だ。この条項は、星亨、片岡健吉ら570名に適用された。◎弾圧対象は社会・共産主義に移る これまでみてきた4法は、いずれも民権運動を対象としたが、1900年に成立した治安警察法は、労働・社会主義運動の禁圧を目的とし、1901年、社会主義をかかげた社会民主党に適用、即日解党させている。 1917年、ソビエト政権が誕生、1922年には日本共産党が非合法のうちに結成され、社会・共産主義の浸透が深刻化する。そこで政府は1925年、「国体」の変革を企てる者、私有財産制を否定する者を処罰する治安維持法をつくり、1928年、共産党員の大量検挙を行なった(三・一五事件)。翌年、田中義一内閣は、同法を改悪して死刑を加え、再び同党を弾圧(四・一六事件)、壊滅的な打撃をあたえた。 太平洋戦争後、これらすべての治安立法は廃止されたが、日本が主権を回復すると、破壊活動防止法が1952年に制定された。これは、暴力主義的破壊活動団体を取り締まる法律だが、おもに共産党対策のためであり、労働者と警官隊が皇居前広場で衝突した血のメーデーがその成立を促進したといわれる。 日本実業出版社「早わかり日本史」JLogosID : 8539597