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「都市革命」によって文明が形成され始める


◎道路とともに成長する「都市」

 農地の次に出現したのは「都市」だった。農耕の技術が改良されて人口が増えてくると、しだいに農地が不足してきた。そこで、多くの人々の協力により治水・灌漑がなされることになり、新たな農地が大規模に生み出された。こうした開拓を推進する中心としてつくられたのが「都市」である。「都市」は、自ら食料を生産しない人々が多く集まり住む空間であり、たいていは城壁で周囲から隔てられていた。

 では、都市ではなにをしていたのか? 都市民は、周辺の農村に、治安の維持、信仰、交易などの多くのサービスを提供し、その見かえりとして食料を確保した。そのために「都市」は、道路・水路を整備し、複雑な人間関係により農村と結びつく必要があった。都市はやがて、官僚・軍隊・神官などの組織や法律を用いて農村を統治するようになり、強制的に徴税するにいたった。「都市」はあたかも神経細胞のように多くの糸(ネットワーク)を諸農村に伸ばし、一つの社会単位となったのである。

 都市の形成にともなう社会の変動を考古学者のチャイルドは「都市革命」といったが、それ以後の約5000年の間に「都市」は地球全体に広がり、人類社会は大変
貌をとげた。

◎都市はまず、乾燥地帯に現れた

 都市は、農耕が始まった乾燥地帯に誕生し、次第に周辺の地域に伝わっていった。「文明」(civilization)の語源は「都市で暮らすこと」であるが、「文明」は都市の成立をきっかけに生み出されたのである。人類史上で最も古い都市遺跡の一つは、前7000年代のトルコのチャタル・フユク遺跡であり、日干しレンガで造られた住居が密集し、約1000所帯、5000人が居住していたと推測される。簡単な灌漑によってコムギが栽培され、ウシの飼育がなされていた。こうした都市は、ヒトがつくり出した人工的空間であったために、自然環境の違いを越えて乾燥地帯から温帯の広い地域に伝えられて成長をとげ、やがて熱帯・寒帯にも広まっていった。

◎都市が育てた国家

 都市は周辺の農村に対する支配を確立すると、それをさらに安定化・構造化して、「都市国家」をつくるようになった。さらに、さまざまな地域に都市国家が成立すると、交易や戦争を通じて相互の結びつきが強まり、都市国家連合(中心都市の力が弱い場合)、あるいは領域国家(中心都市の力が強い場合)としてまとめられ、強大な都市(首都)に従属する地方都市を媒介として、諸地方の支配がなされた。また侵入した牧畜民が、都市群を支配する場合もあった。初期の文明にみられる契約の観念、遠隔地交易、金銀の重視、装身具の発達などは、牧畜民の文化と重なっている。

 5000年前から現在につながる世界の「歴史」が始まるのだ。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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