地中海を制覇した都市国家ローマ


◎分割して統治せよ
地中海の中央部に位置するイタリア半島(ギリシア人が南イタリアを「子牛のいる土地」の意味でViteliuと呼んだのが音韻化した)の中央部・ティベル川流域に、前7世紀ごろに「都市ローマ」が建設された。ローマは、フェニキアなどとは異なり農業国家だった。
前5世紀ころから大土地所有者の貴族と「重装歩兵」として勢力を拡大した平民(中小農民・商人)の争いが激しくなり、前3世紀の初めに両者の法律上の平等が実現した。
ローマ人は、そうした国家を“res publica”(「公の事」の意味)と呼んだが、それが“Republic”(共和国)の語源になっている。
ほぼ同じころに、ローマはイタリア半島の統一に成功する。ローマは、征服した諸都市に不完全な市民権を与え、自らを盟主とする都市同盟を結び、それぞれに異なる自治権と義務を与える「分割統治」という巧妙な支配策をとり、軍道としての道路網を整備した。そのようにして、都市国家ローマはイタリア半島を支配し、世界帝国へと飛躍する土台を築いた。
◎ポエニ戦争が地中海へのスプリング・ボード
ローマがイタリア半島を統一した前272年頃、東地中海ではエジプト、シリア、マケドニアの3国が抗争をくりかえしながら力を弱め、西地中海の制海権をめぐってイタリア半島南部のギリシア植民市群と北アフリカのカルタゴを中心とするフェニキア人が争っていた。
新興勢力のローマはギリシア人と組んでカルタゴとの戦争(ポエニ戦争、前264~前146)に勝利して西地中海に進出し、ついで東地中海を制圧して地中海世界を統一した。
ローマは、前146年にマケドニア、前64年にシリア、前30年にクレオパトラが支配するエジプトのプトレマイオス朝を相次いで征服する。地中海の制海権を握り、地中海周辺の広大な土地を植民地化したローマは、地中海世界の統一に成功したのである。

![]() | 日本実業出版社 「早わかり世界史」 JLogosID : 8539713 |