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諸侯が激しく争い合った550年間もの乱世


諸侯が激しく争い合った550年間もの乱世

◎約550年も続いた春秋・戦国時代

 前770年に、混乱が続いた周の首都の鎬京が異民族に征服され、周王はやむなく首都を捨てて東方の洛邑に遷都した。それ以後、周王の権威は失われ、各地の有力な諸侯が覇権の確立をめざして争い合うようになる。この「周室の東遷」以後、秦の始皇帝が全土を統一する前221年までの約550年間を「春秋・戦国時代」という。

 約360年余り続いた春秋時代の名称は、孔子が編纂した『春秋』に由来する。この時代、各地の有力諸侯(覇者)が同盟(会盟)により都市国家連合を組織し、激しく争い合った。その結果、1800あった諸侯国が140にしぼられる。とくに南方の異民族(越人)の楚の荘王が北上して中原を威圧し「鼎の軽重を問う」(周王の権威を侮辱する)と、諸侯は「尊王攘夷」(周王を尊び、夷狄すなわち異民族の侵入を打ち払う)というスローガンを掲げ、互いに勢力の拡大をめざした。

 春秋時代末期にフイゴを用いて常に炉を高い温度に保つ技術が開発され、鋳型にはめた鉄器が大量につくられると、大規模な灌漑事業が行なわれ、大諸侯は大平原を開墾して広大な農地と大軍隊を擁するようになっていった。

◎晋の下剋上で戦国時代に突入!

 中央部に位置していた大国、晋で下剋上が起こって3国に分裂した後、実力本位の戦乱の時代に入る。この約180年余りの時代は、縦横家が諸侯に説いた策略を収録した『戦国策』により戦国時代と呼ばれる。この時期になると、周王は一諸侯にすぎなくなってしまい、大諸侯が「王」を称するようになった。有力な諸王は、戦争によって弱小諸侯の領土を併合して集権的な「領域国家」を形成し、最終的には、「戦国の七雄」といわれる有力な7大国にしぼられた。

 なお、戦争が大規模になると、犠牲と被害の多い「戦争」を避けることが賢明な王の条件になった。

 たとえば、兵法を説いた「兵家」の孫子は、「百たび戦争をして百たび勝つのは、最高に優れたことではない。戦わないで敵兵を屈服させることこそが最高に優れたことである」と述べている。つまり、政治的かけひきが重要になったのである。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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