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十字軍は何のために行なわれたのか?


十字軍は何のために行なわれたのか?

◎ウルバヌス2世の野心から始められた!

 11世紀後半にイスラム世界の覇者となったトルコ人のセルジューク朝は、ビザンツ帝国の小アジアに侵入する。さらにエジプトのファティマ朝からシリアを奪い、キリスト・イスラム両教徒の聖地イェルサレムを占領した。トルコ人の勢いに圧倒されて危機に直面したビザンツ皇帝は、ローマ教皇に救援を求めざるを得なかった。

 要請を受けた野心家の教皇ウルバヌス2世は、東西教会の統一と西ヨーロッパ世界における教皇権の強化をめざして、1095年に南フランスのクレルモンで公会議を開き、1096年夏の遠征開始を決議した。

 雄弁な教皇は、「聖地イェルサレムは乳と蜜の流れるところ」であり、「この地で不幸な者は彼の地で幸せを得るであろう」と説き、群衆は「デウスウォルト」(神はお望みだ)と叫んで熱狂した。以後、13世紀までイスラム教徒に対する聖地奪還の聖戦(十字軍)が続けられる。

◎野蛮と熱狂と狂気と

 1096年、フランス人、フランドル人を中心とする騎兵約5000人、歩兵約3万人の第1回十字軍が陸路東に向かった。1099年6月、イェルサレムに達した十字軍はジェノヴァ海軍の援助を受け、7月にイェルサレムを陥落させたが、とても聖戦とはいえないような大虐殺(イスラム教徒の住人5万人のうち4万人を殺害したといわれる)と略奪がなされた。この遠征には、5000人もの従軍慰安婦が付き従ったといわれている。

 聖地の奪回後、大部分の兵士は帰郷したが、残された人々はイェルサレム王国を建てた。その後、エジプトの支配者サラディンが1187年にイェルサレムを奪回すると、ドイツ皇帝、仏王、英王などが最大規模の第3回十字軍を率いて聖地におもむいた。しかし、老齢のドイツ皇帝が小アジアで渡河中に溺死し、フランス王も途中で引き返してしまい遠征は失敗に終った。

 十字軍運動が行きづまった1212年には、神のお告げを受けたと称する牧童が聖地を奪回するための少年・少女の十字軍の結集を提唱した。呼びかけに応じてマルセイユに集まった3万人の子どもたちは、悪徳商人の手で奴隷として売り払われてしまった。

 その後も、5、6、7回の十字軍が派遣されたが、いずれも失敗し、1291年に十字軍の最後の拠点であったアッコンが陥落して、約200年続いた十字軍運動は失敗に終わった。

◎王権が強化され、イタリア商人が潤った

 西ヨーロッパ世界を熱狂させた十字軍は、ヨーロッパ社会を大きく変化させた。ビザンツ帝国は衰退し、一時、教皇権は強大になったものの聖地奪回に失敗したことから最終的には失墜した。また、無理な遠征を行なった諸侯、騎士が没落して王権が強化され、国王による統一国家の形成が進められた。十字軍兵士の輸送にたずさわったヴェネツィア、ジェノヴァなどのイタリア諸都市も東方貿易で急速に成長した。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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