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ジャンヌ・ダルクにより復活するフランス


ジャンヌ・ダルクにより復活するフランス

◎百年戦争はワインと毛織物を争った!?

 西フランク王国からおこった「フランス」では、カペー朝のもとで国王の権力が強まっていった。一方、イギリスのプランタジネット朝の王は、フランスの西半分を支配するフランス最大の貴族であり、フランス統一の障害となったことから両王室の対立が激化した。

 カぺー朝のシャルル4世が世を去って、傍系のヴァロワ朝が成立すると、王位継承問題をめぐる対立が両国の関係を一挙に悪化させる。

 以前から両国は、毛織物の産地フランドル地方、ボルドー・ワインの産地ギュイエンヌ地方の支配をめぐって対立していたが、イギリス王エドワード3世は母親がカペー家の出身であることを理由に王位継承権を主張して、1339年にフランスに攻め込んだ。

 ここに断続的に100年間以上も続く「百年戦争」が始まる。

 フランスの貴族がイギリス国王派とフランス国王派に分かれたこともあって、戦争は一貫してイギリス側が有利に進め、フランスを戦場とする戦争が続いた。

◎ジャンヌ・ダルクが変えた戦局

 戦争がイギリスの勝利で終わろうか、という最終局面で、「フランスを救え」という神のお告げを受けたというロレーヌ州ドンレミ村の17歳の少女、ジャンヌ・ダルクが登場する。

 彼女はシャルル7世に参戦を乞い、甲冑に身を固めて白馬にまたがり、聖母マリアの周囲に王室の花であるユリをちりばめた軍旗を掲げて、フランス軍の士気を高めた。その勇気ある行動で、フランス人の「国民意識」が燃えあがり、戦局が逆転することになる。

 1453年にイギリス軍が、ドーバー海峡に面したカレーの町を除いたフランスから全面的に撤退して、百年戦争は終わった。しかし、ジャンヌ・ダルク自身は1431年に19歳でイギリス軍に捕えられ、裁判の末に「魔女」としてルーアンで処刑された。

 「オルレアンの少女」ジャンヌは、1455年に異端の汚名をきせられ、1920年には教皇により聖人の列に加えられた。フランスでは毎年5月8日から1週間にわたってジャンヌを祭る祭礼が行なわれている。

◎百年戦争がもたらした王権の強化

 この戦争の過程で、農民の槍隊やイスラム世界から伝えられた火薬を利用する鉄砲、大砲が威力を発揮した。戦法の変化が、騎士階層の没落を明確にした。

 戦争でイギリスは大陸の領土を失い、島国になった。しかも、戦争に敗れたイギリスでは、引き続き「ばら戦争」(1455~85)という長期の内戦が起こり、その戦争の過程で諸侯、騎士の没落がさらに進んだため、新たに成立したテューダー朝のもとで、フランスと同様に王権が強化されることになったのである。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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