早わかり世界史 第2章 一体化するユーラシア世界 7.遊牧民が活躍する時代 335 イスラム教の成立からアラブの大征服運動へ ◎熟年のムハンマドが創始したイスラム教 6世紀中頃以降のメソポタミアでは、ササン朝とビザンツ帝国の抗争が激化し、東西の交易ルートが極めて不安定になった。そのため、その地域を通らず、ヒジャーズ(紅海沿岸)地方からアラビア海にいたる新たな交易ルートが活性化し、「メッカ」などの都市が急成長をとげることになった。 ムハンマドは、メッカの名門商業貴族の家に生まれた。出生前に父親を、6歳の時に母親を失い、祖父、次いで叔父に育てられた。25歳の時に15歳年上の富裕な商人の未亡人ハディージャと結婚すると実業家として成功し、2人の男子(幼い時に死亡)と4人の女子に恵まれた。 40歳の時に、ムハンマドはメッカ郊外の洞窟で瞑想にふけるようになり、天使ガブリエルの啓示を受けたと称して、610年に唯一神アッラーを絶対神とする「イスラム教」を創始した。◎「アラブ世界」の形成 ムハンマドは、伝統的な宗教都市メッカで10年の間、布教に努めたが、獲得した信徒は100人程度にすぎず、やがて都市支配層の強い圧迫を受けるようになり、メッカでの布教を断念せざるを得なくなった。 622年7月16日に、ムハンマドは信徒とともにメッカ北方の交通の要地ヤスリブ(後に「預言者の町」の意味でメディナと改名)に逃れ、教団の再編をはかった。こうした行動は、「ヒジュラ」(ヘジラ、聖遷)と呼ばれたが、それ以後、イスラム教団の著しい発展がみられたために、この年は後にイスラム紀元元年とされている。 630年にイスラム教徒は、交易をめぐって対立関係にあったメッカの占領に成功。イスラム教の影響はアラビア半島全体に広まった。このイスラム教を中心とする遊牧アラブ諸族の連合体が「アラブ世界」のおおもとになったのである。 632年にムハンマドが若い妻アイーシャの膝を枕にして世を去ると、イスラム教団は分裂の危機におちいり、アラビア半島は大混乱した。そうしたなかで教団は、話し合いで「カリフ」(神の使徒=ムハンマド、の代理人・後継者)を選び、危機の乗り切りを策した。話し合いにより選ばれた第4代カリフまでの時代を「正統カリフ時代」という。この時代に遊牧民を中心とするアラブ軍は、シリアとエジプトを征服するとともにササン朝を倒した。◎世界史を変えた「大征服運動」 さらに「コーランか貢納か剣か」のスローガンのもとに「大征服運動」が始められた。それは、遊牧民中心のアラブ人の大規模な民族移動でもあった。7~8世紀にかけて約130万人のアラブ人が農耕地帯の諸都市に移住し、支配層になったのである。遠征の際にはカリフが遠征軍の司令官を任命し、準備と作戦はすべて司令官に一任された。戦いの結果得られた戦利品はすべて貨幣に換算され、5分の1がカリフのもとに送られ、残りは遠征に参加した兵士の間で分配された。 日本実業出版社「早わかり世界史」JLogosID : 8539749