早わかり世界史 第4章 ヨーロッパによる世界制覇 11.アメリカの自立 314 不完全だったラテン・アメリカの独立 ◎ラテン・アメリカ諸国の独立の波 アメリカ合衆国の独立、フランス革命、ナポレオンの大陸制覇の影響を受けて、1810年代から20年代にかけてスペイン、ポルトガルの植民地であるラテン・アメリカでは、ヨーロッパ系移民の子孫(クリオーリョ)を中心とする独立運動が展開され、次々と独立が達成された。ラテン・アメリカは世界の陸地面積の15%以上、人口の6%を占める地域であり、独立の進展は世界史的にみても重要なできごとであった。 1800年の段階で、アメリカ大陸のスペイン植民地の人口は約1500万人で、先住民のインディオ約1000万人、移民の子孫であるクリオーリョ約300万人、両者が混血したメスティーソ約200万人からなっていたが、植民地行政は本国から派遣された約30万人の役人により独占され、貿易の利益もセビリアなどの支配国の港の商人に奪われた。しかし、クリオーリョが農園主・商人などとして現地の実権を握っていた。そのため本国政府に対する不満が植民地にうずまいていたのである。◎次々に建設された18の国家 1810年にナポレオン軍がスペインを占領し、スペイン本国が政治的危機におちいると、ラテン・アメリカ各地で独立運動が開始された。1811年にベネズエラが独立を宣言し、1813年からはベネズエラ生まれの大農園主の息子シモン・ボリバルが独立運動の指導者となった。彼は1819年に大コロンビア共和国を建てて、大統領となり、ついでペルー、ボリビアを解放して「解放者」と呼ばれた。「ボリビア」は彼の名にちなんで名づけられたものである。 このほか、1814年から1821年にかけてウルグアイ、アルゼンチン、チリ、メキシコ、中央アメリカ共和国が独立し、1822年にはブラジル、ペルー、エクアドル、1825年にボリビアが独立を達成した。◎混乱する「国民国家」 ラテン・アメリカの新興独立国は合衆国憲法にならった立派な憲法を制定したが、富裕な地主階層が私兵により国家システムを私物化する傾向が強く(軍事的実力者を「カウディーリョ」という)、貧しい民衆はカウディーリョに救世主の幻想を抱くことも多かった。そのためラテン・アメリカの政情は不安定で、クーデターがくり返され、土地の偏在と極端な貧富の差が存続することになった。たとえばチリでは、わずか570家族が全私有地の64%を所有している。◎イギリスとアメリカの対応 ラテン・アメリカに独立の動きが広がると、宗主国のスペインは弾圧の動きを示した。それに対してイギリスの外相カニングは、経済進出のために積極的に独立を承認した。独立後、イギリス商品がラテン・アメリカ市場を支配する。 アメリカの5代大統領モンローは、1823年にモンロー宣言を出して、両大陸間の相互不干渉を主張。ヨーロッパ諸国のラテン・アメリカに対する干渉軍の派遣に強く反対した。 日本実業出版社「早わかり世界史」JLogosID : 8539791