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偶然によって爆発した“ヨーロッパの火薬庫”


偶然によって爆発した“ヨーロッパの火薬庫”

◎溝を深めるドイツとイギリス

 新興工業国ドイツの世界政策と、イギリスやロシアなど、すでに大きな勢力圏を確保していた国々との対立は、日露戦争後に「三国同盟」(ドイツ、オーストリア、イタリア)と「三国協商」(イギリス、フランス、ロシア)の対立という明確な図式となった。

 ドイツの3B政策は、ベルリン―ビザンティウム(イスタンブール)―バグダードの3都市をつなぐ鉄道を敷設し、バグダードの外港のバスラに港湾施設を整えてペルシア湾に進出しようとするもので、北大西洋とペルシア湾を最短距離で結ぶことをめざしていた。だがその政策は、インド洋を内海として確保しようとするイギリスの3C政策(ケープタウン、カイロ、カルカッタ)を揺るがすものであった。

 ドイツが海軍力の増強に乗り出しイギリスの制海権を脅かすと、危機感を強めたイギリスは、バルカン半島に勢力を南下させようとするロシアと結んでドイツの、中近東への進出を抑えようとした。

◎民族紛争で煮えたぎるバルカン

 旧オスマン帝国領のバルカン半島では、スラブ人の民族運動が活発に展開されていた。彼らはロシアを後ろ楯に、バルカン半島をスラブ民族の手に奪回しようとするパン・スラブ主義を掲げる。それに対して、国内に多数のスラブ民族を抱えるオーストリアは、スラブ民族運動の波及を恐れ、ドイツを後ろ楯としてパン・ゲルマン主義を掲げてバルカン半島での勢力拡大に努めた。

 両勢力の係争地になったのが、1878年のベルリン会議でオーストリアが行政権を獲得したボスニア・ヘルツェゴヴィナだった。これらの地域に多くのスラブ系のセルビア人が居住していたためである。

◎“偶然”だったサライェヴォ事件

 1914年6月28日、ボスニアの州都サライェヴォでオーストリア陸軍大演習の閲兵におもむいたオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント(52歳)と妃のゾフィー(43歳)がセルビア人の大学生プリンツィプ(19歳)に殺害される「サライェヴォ事件」が起こった。その事件を機に「ヨーロッパの火薬庫」は一挙に爆発し、1か月後のオーストリアのセルビアに対する宣戦をきっかけにして、「三国同盟」諸国と「三国協商」諸国がぶつかりあう「第一次世界大戦」が勃発した。

 事件が起こった日は、バルカン戦争でセルビアがトルコ、ブルガリアを破った記念日で、民族主義的秘密結社「黒い手」は組織的暗殺計画を立てていた。すでに駅から式典が行なわれる市庁舎へ行く途中で皇太子の車に爆弾が投げつけられ、十数名の随員が負傷していた。

 式典後に皇太子の車は予定の帰路を変更し、フルスピードで駅に向かったが、運転手が道を間違え、曲がり角で車が立ち往生した瞬間に狙撃がなされたのである。悪魔にみいられたような偶然により、ヨーロッパ没落のきっかけとなる第一次世界大戦は始まったといえる。




日本実業出版社
「早わかり世界史」
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