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古くは大江野津といった(名立乃歴史)。名立川下流域右岸。地名は,浄福寺前の凹地が古来酸化鉄を含んだ水を貯えていたが開墾して赤沼田になり,それが赤野俣になったと伝える。昔は入海になっていて風光明媚な地であったが大地震で埋没,貞観年間の大地震で国分寺とならび称された山寺三千坊の1つ乙宝寺も壊滅したという。その時の死者を弔うために建てられたという石塔が地内にあり,堂のわき・堂坂・堂屋敷・大門などの地名が残る(同前)。【赤ノ俣村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。【赤野俣(近代)】 明治22年〜現在の名立町の大字名。