山手町
【やまてちょう】

(近代)明治32年~現在の町名。はじめ横浜市,昭和2年からは横浜市中区の町名。もとは外国人居留地であった横浜市谷戸坂通・山手本町通・富士見町・内台坂・西坂町・地蔵坂・小坂町・大丸坂・撞木町・環町・公園坂・西野坂・汐汲坂・高田坂・三ノ輪坂・稲荷町・南坂・貝殻坂・宮脇坂・陣屋町・諏訪町通・弓町・畑町・矢ノ根町・泉町・林町の山手居留地26か町。昭和3年一部を上野町・千代崎町に編入。同10年一部を石川町に編入,中村町の一部を編入。同11年一部を新山下町・諏訪町・上野町・元町に編入,元町の一部を編入。同45年新山下町の一部を編入,一部が新山下1~3丁目となる。大正12年の関東大震災の際,当地は壊滅的な打撃を受け,以後外国人居住者の数は激減した。明治初期仏人ジェラールが山手77番地にあたる地で,湧水を船舶用の飲料水として販売,水屋敷と称された。同地に昭和5年6,119坪の元町公園(現在は元町字1丁目)が開園,園内にはプール・弓道場などがあり,プール開場式後横浜市初の国際水上競技日比対抗水泳大会が行われた。昭和2年神奈川県測候所(現横浜地方気象台)が移転。第2次大戦後山手公園は米軍に接収されていたが,同27年返還された。同37年港の見える丘公園開園。同公園内の関内側一帯は幕末以来フランス領事館の所在地で同46年横浜市がフランス政府より買いあげ,フランス山として公開された。同53年同公園に大仏次郎記念館が開館,大仏次郎の自筆原稿や3万冊に及ぶ蔵書を展示。昭和52年山手資料館が開館。同館は明治42年建てられた,居留地の建築様式を今に残す横浜唯一の木造西洋館である。明治18年当地に新築移転したゲーテー座では,シェークスピア劇などが上演され,小山内薫・坪内逍遥・芥川竜之介などがよく通ったという。ゲーテー座は関東大震災の際崩壊したが,跡地に昭和54年同座を記念して岩崎博物館が建てられ,関係資料が展示されている。国鉄根岸線石川町駅から元町を経て谷戸坂から外人墓地,港の見える丘公園周辺に至る道筋には異国情緒が残っており,現在横浜観光の代表的なものとして若い人たちの格好な散歩道となっている。明治36年戸数88・人口2,457。昭和4年日本人237戸・778人,外国人201戸・295人。世帯数・人口は,昭和22年522・2,224,同55年1,444・4,327。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7069519 |




