道之下
【どうのした】

旧国名:越後
吉川と玄僧川の流域。地内の縄文遺物である石鏃・石斧・玦状耳飾などの一部を大正5年帝室博物館に送付した。そのほか平安期の須恵器,中世普門寺跡,南北朝期~江戸期の石塔などが各所で発見(県遺跡台帳)。地名の由来は,往古,西の小丘陵上に道路があり,その下にあたったことによる説や,古寺の堂または塔の下の意から名付けられたとする説がある。「慶長国絵図」では,「たふの下村」と山口村の間に永林寺村(44石)が描かれている。
【道ノ下村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
【道之下(近代)】 明治22年~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7075809 |




