最勝寺
【さいしょうじ】

旧国名:甲斐
甲府盆地の南部,釜無川下流右岸部に位置する。段丘崖下に小集落があり,その東は戸川扇状地の扇端の青柳に接する。地名は,集落南部にある真言宗の名刹最勝寺にちなむ。中世は大井荘に属し,最勝寺旧蔵銅鐘銘には,「甲斐国大井庄最勝寺之洪鐘弘安六年癸未八月日時正」と見える。西部台地から縄文中期の土器片・石器のほか弥生時代の石環や石紡も発見され,古墳時代の円墳も数基あって副葬品と思われる直刀と鉄鏃も出土した。縄文・弥生・古墳時代の最勝寺平野遺跡・最勝寺西の入遺跡・最勝寺大堀田遺跡,古墳時代の塚穴古墳・鎌塚古墳・大塚古墳・最勝寺馬門古墳がある。最勝寺は天平時代の創建といわれ,もとは三論宗で,勅願による最勝王経転読の道場と伝える。弘安6年銘最勝寺銅鐘は身延山久遠寺に現蔵されて県文化財,嘉吉3年銘鰐口は町文化財,天文年間銘正観音菩薩像版木は県文化財,ほぼ同時代の遺構をもつ最勝寺観音堂は町文化財。室町期初頭に武田大井氏を興した陸奥守信明は最勝寺を牌所とした。西方の小高い台地は城山と呼ばれ,武田氏時代の烽火台跡。この城山脇の赤子沢は中世の豪族某に次々と生まれた双子の片割れ10人を養い置いた所と伝えられ,南北に長くのびる二十騎原という地は成人した男子兄弟が20人そろうを得て野原を駈けたことに由来するという。
【最勝寺村(近世)】 江戸期~明治7年の村名。
【最勝寺(近代)】 明治後期・大正期~現在の大字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7097037 |




