仲筋
【なかすじ】

旧国名:琉球
方言ではナカスヅという。宮古諸島多良間(たらま)島の西部を占める。小字のンタバル(土原)は,「土原豊見親のニル」に,弘治13年(1500)仲宗根豊見親玄雅が首里王府軍とともに八重山のオヤケ・アカハチを征討した際,従軍した武将土原豊見親の出身地とされる(ニーリ10/歌謡大成Ⅲ)。「土原の女按司のアヤグ」によれば,島に鉄器がない頃,大和から鉄製の刃や刀などを購入した女按司のいた地でもある(アーグ45/同前)。さらに,「多良間大司のフサ」によれば,宮古島への船旅の途中暴風にあって非業の死を遂げた多良間大司の出身地でもある(フサ19/同前)。「たらまゆー」のクイチャーに,「ながしがー」という井戸名が見え,それは豊穣をもたらす世直しの井戸の意であり,水量の豊富なことが謡われている(クイチャー43/同前)。県史跡の土原豊見親のミャーカがあり,康煕40年(1701)頃建立の墓碑には梵字のアンクと「土原豊宮霊位」,内室の墓碑には梵字のアと「土原豊宮内室霊」と刻んである(県文化財調査報告書69)。そのほか,史跡に土原うがん遺跡・宮古遠見台遺跡・八重山遠見台遺跡などがある。
【仲筋村(近世)】 王府時代~明治41年の村名。
【仲筋(近代)】 明治41年~現在の字名。

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典」 JLogosID : 7241224 |




