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輪組村(近世)


 江戸期~明治22年の村名。勢多郡のうち。はじめ沼田藩領,天和元年幕府領,寛保3年前橋藩領,延享4年幕府領,文政8年館林藩領,天保7年幕府領,慶応3年前橋藩領。村高は,「寛文郷帳」で畑方142石余,「元禄郷帳」53石余,ほかに輪組新田12石余,「天保郷帳」では「古者輪組村・輪組新田・輪組村」と記され67石余,「旧高旧領」も67石余。輪組新田は本村から赤城山に向かって坂道を上っていった輪久原の地にある。沼田藩領の村々は,藩主真田氏の寛文新検地による村高打出しを経験したが,本村の村高は寛文7年に537石余,のち602石余,輪組新田は寛文12年に66石余,延宝2年に144石余であった(わが赤城根村)。真田氏改易後,幕府貞享検地で修正され,「元禄郷帳」以下の高となった。なお輪組新田については村入用の額がわかり,明和5年の総額2貫500文,26年後の寛政6年には倍増の5貫224文となっている(同前)。百姓林は延宝4年に本村15か所,新田14か村,また寛保3年では本村17か所で反別3町3反余,新田分は未詳であるが,約3町ぐらいと考えられている(同前)。なお輪組本村の戸口は,文政6年33軒・135人,同10年では27軒(同前)。幕末の改革組合村高帳では,新田の名も見え,本村・新田とも糸井村寄場組合に属し,本村の高53石余,家数27,新田の高12石余,家数11。明治4年前橋県,群馬県を経て,同6年熊谷県,同9年群馬県,同11年群馬県北勢多郡に所属。「郡村誌」によれば,戸数37・人数155(男75・女80),馬18,神社に武尊社・諏訪社・十二神社がある。明治22年の戸数36・人口160(同前)。同年赤城根村の大字となる。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7285092