100辞書・辞典一括検索

JLogos

45

大宮郷(近世)


 江戸期~明治22年の郷名。秩父郡のうち。はじめ幕府領,寛文3年忍【おし】藩領。同領中心地の大宮郷に代官所設置。代官は月交代制で常時2人が大宮郷に駐在し,1郷15村の直接支配・管轄に当たった。大宮郷の町場の形成は江戸中期以降と思われ,絹取引を中心とする六斎市(1・6の日)によるところが大きい。郷内を南北に貫く秩父往還(熊谷~甲府間の間道)の約1kmの両側に家並みが建ち,この街場を6区に仕切って月1回の割合で市が開催された。絹・太織物をはじめ,米・麦・タバコ・油・紙・漆・豆類・古着・農具・薪・炭・日用品など。朝8~10時までが絹取引,以後その他物産の取引が行われた。本来年貢米の生産が不可能だった土地柄のため,商品経済の流通機構の発達によって生活基盤を支えた大宮郷には,領内農村地帯から持ちこまれる諸商品を換金する市が繁栄し,藩も保護策を構じた。妙見宮霜月大祭(現秩父神社例大祭・12月1~6日)には絹大市が開催され,諸国の商人が入りこみにぎわった。郷高は「田園簿」2,264石余,「元禄郷帳」2,416石余,ほか妙見社領57石・八大社(今宮神社)領10石・広見寺領10石。貞享元年の戸数914・人口2,924。「新編武蔵」では町場250戸,周辺部に390戸,妙見社領60戸。人口は天明6年で3,773(松本家文書)。神社は秩父神社妙見宮が古代以来,柞【ははそ】の森の中にあって,南方の武甲山に向かって社殿を構え,末社・摂社75社,幕府朱印状による57石を有し,西方に町並みをはさんで八大竜王・今宮神社が今宮平【いまみやだいら】に鎮座。そのほか郷民共有,個人持の小祠が60。この中に諏訪社7・天神社6・丹生社2,そのほかを数えた。寺院は17。禅宗12・真言宗2・天台宗1・浄土宗1。禅宗のうち,大聖山金仙寺は天授(康暦)年間の起立と伝え臨済宗建長寺派。大林山広見寺は曹洞宗奥州正法寺末。今宮八大竜王社を管理した本山派修験今宮坊は長岳山正覚院金剛寺と称する聖護院直末で,中世末期~江戸中期まで秩父郡全域の本山派山伏の年行事職をつとめた。郷内の札所観音堂は第11~19番の9か所で,今宮坊は14番堂,配下の神門寺は18番の別当。今宮坊配下山伏は郷内に3院。なお近世大宮郷のうちには「其中に大宮町と唱え民家軒を並べて市立ある所凡九町半余路幅凡六間坤より艮に達す。ここにつらなる家数二百五十」(新編武蔵)という大宮町があり,家並みの中に穀商・絹仲買・塩・油商・万商・質屋・旅館・飲食店・陸運業・薬種・蚕種・紺屋・塗師・髪結・酒造家などの諸商人・職人が居住し,代官所膝元の町場を形成した。明治5年秩父郡域は入間【いるま】県とされ,大宮郷は第10大区第1小区に規定され,旧代官所は入間県出張所となった。同12年新たに郡制がしかれ秩父郡となり,出張所は郡役所となった。同16年,殖産興業の必要性から大宮郷と小鹿野【おがの】町とを起点にして大淵村―児玉郡児玉町―同郡本庄駅のコースに秩父新道建設計画が県の認可を得て工事を開始,同19年4月に完成。なお同9年の大宮郷における養蚕生糸織物統計は,蚕卵紙生産高1万枚・生糸160貫・生絹2,000疋・太織1,500疋・繭230石。人口は同3年3,595・同22年別所村を合併して3,933。大宮郷を大宮町と改称。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7286020