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金原保(中世)


鎌倉期~南北朝期に見える保名元亨3年11月3日の工藤貞行譲状に「みちの国いくのしやうかなはらの保のうちかた山のむらの御たいくわんしき」とあり,金原保を伊具荘のうちとしていることがわかる(南部文書)元弘4年1月20日の某下文では結城宗広の家人和知次郎が金原保内羽尾村の地頭代職に補せられている(結城古文書写/県史7)建武2年6月3日の陸奥国宣には「伊具・曰理・宇多・行方等郡,金原保検断事,事書遣之」とあり,相馬重胤と一族武石胤顕が金原保など4郡1保の検断職に任ぜられており,ここでは金原保は伊具郡とは別に扱われている(相馬文書/県史7)建武2年には10月5日の後醍醐天皇綸旨により結城参河前司親朝が金原保を与えられている(秋田藩家蔵白川文書/県史7)延元4年7月18日の伊達為景相博状では為景・為顕父子は高野郡北方(東白川郡)の入野郷の2村および仁公義村と結城氏の金原保内筆甫【ひつぽ】(宮城県丸森町)とを交換している(結城大蔵文書/県史7)中通り北部,現在の保原町の金原田・梁川町の舟生,宮城県丸森町の筆甫・金山方面にわたる地域で,丸森町地域を中心とするあたりに比定される

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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7266716