100辞書・辞典一括検索

JLogos

曲沼村(近世)


江戸期~明治8年の村名会津地方中部,阿賀川(大川)南岸に位置する河沼郡のうち会津藩領青津組に属す村名は,かつて北部にあった大沼の形が六曲になっていたことに由来すると伝える(新編会津)慶長16年の会津大地震以前は村内を越後街道が通っていた村高は,文禄3年の蒲生高目録では稲川郡に属し625石余,寛文9年624石余,文化15年の村日記(県史10下)では629石余,「天保郷帳」622石余,「旧高旧領」632石余化政期の家数37軒(新編会津)鎮守は権現神社(現黄金神社)寺院は新義真言宗豊山派恩乗寺寛政元年の「会津鑑」によると大沼弾正秀正が住した柵跡があったという江戸後期には肝煎と農民との訴訟があり,肝煎が敗訴して他出したので,その怨念を払うために弥宗地蔵を建てたと伝える主産物は米,昔は藍も栽培した明治4年の戸数37・人口210同8年砂越村と合併して沼越村となる

全文を読むにはログインが必要です。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7270192