中曽根村(近世)


江戸期~明治12年の村名県東部,備前堀川左岸の低地・台地に位置する埼玉郡騎西【きさい】領のうち古くは山根荘海上郷に属したというはじめ幕府領,寛永年間には忍【おし】藩領,寛永16年川越【かわごえ】藩領,元禄7年幕府領,明和7年川越藩領,文政5年幕府領,同7年清水家領,安政初年から幕府領検地は正保4年・元禄15年村高は「田園簿」では425石余,うち田242石余・畑182石余,「元禄郷帳」1,195石余,「天保郷帳」840石余村の規模は東西18町・南北10町余化政期の家数20軒用水は筑田堀を使用鎮守は久伊豆社神社はほかに諏訪社・愛宕社など新義真言宗観音院の開山は照宥で天正17年の入寂と伝える寺院はほかに曹洞宗清鏡院高札場は村の中央部小名は館・西山・下新田・金子明治4年埼玉県に所属明治9年の戸数143・人口706,馬28,川下小船1物産は米・大麦・小麦・白木綿など,米麦は菖蒲【しようぶ】町・桶川【おけがわ】宿辺へ出荷飛地が割目村にある同12年郡区町村編制法施行に伴い南埼玉郡北中曽根村と改称

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7289059 |