明屋敷(近世)


江戸期~明治9年の村名駿河【するが】国安倍郡のうち駿府城の周辺に位置する幕府領村高は,「元禄郷帳」818石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに851石余徳川家康の駿府入城後当地に設けられた武家屋敷は,寛永10年駿府城が番城となり,同12年城下茶町の火事で焼けた番衆の建物が城内に移されてのち検地が行われ明屋敷と称した当村は各所に分散した耕地の総称で近隣の農民が耕作した耕地は四方に熊笹が巡らされ,武具奉行の管轄下にあって薬園が置かれていたが元治元年廃園となり,明治元年村方に預けられた明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県に所属同9年一部が北安東村に合併,その後残部も隣接する駿府城下の町とともに新しい町に再編成された

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7347489 |



