堀切村(近世)


江戸期~明治9年の村名遠江【とおとうみ】国榛原【はいばら】郡のうち牧ノ原台地南東,駿河【するが】湾岸釘ケ浦に面して位置する地名の由来は,中世土豪の堀あるいは品太天皇の時代に渡来した百済人の築城した堀城【ほりき】にあるという(相良町神社誌)はじめ山内氏領,慶長5年徳川氏領,同8年幕府領,貞享元年駿河国田中藩領,宝永2年幕府領,同7年相良【さがら】藩領,天明7年幕府領を経て,文政6年からは相良藩領となる文禄2年の山内氏検地にともなう名寄帳によれば,反別5町余(大石家文書/静岡県榛原郡誌)海岸には塩浜があった(遠淡海地志)村高は,「元禄高帳」「天保郷帳」ともに69石余,「旧高旧領」84石余「風土記伝」によれば阿弥陀堂がある明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称),同4年静岡県,浜松県を経て同9年再び静岡県に所属同9年大磯村ほか2か村と合併して片浜村となる現在相良町大字片浜の通称地名として残る

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7352880 |