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浜谷村?(近世)


江戸期~明治初年の村名播磨国明石郡のうち瀬戸川河口左岸もとは田井村と称し,寛永17年~元禄年間に改称したと考えられるもと豊臣氏蔵入地慶長5年姫路藩領,元和3年からは明石藩領西浦辺組に属す村高は,「正保郷帳」では田井村と見え243石余うち田225石余・畑17石余,「天保郷帳」255石余,明石領地図裏(田中源左衛門文書)と「旧高旧領」は256石余「明石記」によれば,村の規模は東西1町・南北50間,郷蔵,池7,板橋,石橋,浜土手堤80間,波止2(元禄5年頃),小藪3,藻曳網(西岡村・当村),歳神,阿弥陀堂などが記される真言宗金輪寺が無住で荒れていたため藩主松平信之は村民のため寺領2石余を与えた(采邑私記)西岡~中尾の海岸部は錦が浦といわれ,漁業や海運業も営まれた江戸期には淡路へのイワシ買い,大坂へ木綿や油を商うなど渡海船の活動もあった高砂道が村内を通る明治初年西岡村の一部となる

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7395136