上清水横町(近世)


江戸期~明治17年の町名奈良町に隣接する興福寺領清水村内に形成された町場の1つで,奈良町の1町として町の扱いをうけるようになった興福寺成身院の寺社下町の1つ奈良町の南方触口支配に属する奈良町の南部に位置し,上清水町の東の南北通りに面する街区地名の由来は,上清水町・中清水町・下清水町がいずれも東西通りであるのに対して当町は南北通りで,しかも上清水町の枝町であることにちなむ(奈良坊目拙解)寛文年間~貞享年間頃の作製になる元禄16年写和州南都図には当町名が見えないが,貞享4年の「奈良曝」には記載されているたんに横町ともいい(奈良佐良志),また久保町ともいう(奈良坊目拙解)元禄2年の家数21,竈数32うち大家15・借家17(元禄2年改帳)享保14年の細井因幡守殿町々家数吟味には,役家数6,家数15,竈数26うち大家15・借家11とあり,「但,久保町家数ノ内ニ御座候」と記す(奈良佐良志)宝永年間町代高木又兵衛諸事控には米屋1軒が見える(県立図書館藤田文庫)西側は北天満町の天満天神宮の,東側は新薬師寺南門脇の鏡明神の氏子区域(奈良坊目拙解)明治17年高畑村に編入なおその後は奈良市高畑町のうちの通称町名として存続したが,昭和10年代からは通称上清水町・上久保町・東大路町の各一部となった

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7398910 |



