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三島七島(中世)


室町期に見える総称地名応永27年8月の善善麻譲状写(小早川家文書/大日古11)に三島善善麻が「伊予国三島領七島之内下嶋」を養子の小早河徳平(竹原小早川義春の子)に譲渡している三島善氏は,飯尾氏の末葉で,承久の乱後,河野氏の没落に伴い,京都より下向し,三島七島社務職を賜ったという(予章記)この三島善氏の子孫と思われる三島善孫五郎は,暦応元年12月,武家方の岩松頼有に属し,道前【どうぜん】から府中方面にかけて南軍と戦っている(予陽河野盛衰記所収文書)応永年間以降,三島七島のうち大崎下島は,竹原小早川氏に伝えられている文安年間,大崎下島(広島県)半分をめぐって小早川庶流土倉氏と大山積神社との間に紛争が生じている三島七島とは,大山祇神社(三島社)の領有する大崎下島をはじめとしその周辺の7つの島嶼をさすのであろう鎌倉末期と思われる「伊予国内宮役夫工米一向未済所々注文」(御裳濯和歌集紙背文書)に「三島御領島〻八十九町二反小」とあるが,それは地積の規模の大なることからみて大三島(三島荘)を含めた三島七島をさすか「沼田小早川家系図」(小早川家文書/大日古11)に小早川凞平の弟満平には「予州三嶋」という傍注があり,三島七島をさして「三嶋」と呼称する場合もあったものと思われる

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KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7433576