西松崎村(近世)


江戸末期~明治7年の村名宇土【うと】郡のうち天保10年大野川河口の松橋【まつばせ】・高良海辺築立てにより成立した新地に位置するはじめ東松崎村と一村をなしていたが,大野川の改修工事で,左岸の東松崎村と右岸の西松崎村に分断されたと伝えられる地名は,松橋地先の意とも,一説に入植者出身村の五丁手永松崎村に由来するともいうなお「旧高旧領」には村名は見えない下り松新地の南にあたり,集落は,築合と呼ばれる両塘の接合地帯の塘下に東西に延びるはじめ畑作が行われたが,水利が悪く,砂地のため,常に旱魃に苦しんだ弘化年間沖塘寄りに東浜塩田を作ったが,井樋口が大野川沿いで海水の塩分が薄いため,まもなく廃止された開拓時代の伝承芸能として,人形と人が一体となって子守唄につれて踊る「おろろんべ」が有名熊本県,八代【やつしろ】県を経て,明治6年白川県に所属同7年亀松村の一部となる現在の亀松のうち松崎にあたる

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7453349 |