パラグアイ(国のなりたち)
1516年以降,スペイン人による探査が継続された。37年にスペイン人がアスンシオンを建設,1617年ブエノスアイレスに総督府が移されるまで同地に総督府を置き,植民行政の中心地として発展。いっぽう,先住民のグアラニー族は欧州人に友好的態度をとったため,双方の同化は急速に進んだ。1811年にスペインからの独立を達成したが,14年政権を掌握したフランシアは徹底した鎖国政策をとり,27年間にわたり独裁体制を続けた。44年には新憲法制定によって正式に共和国となり,大統領制をしいた。その後富国強兵策で国力を蓄え,領土拡大を狙って64年にブラジル,アルゼンチン,ウルグアイ3国を相手に戦いを挑んだ(三国同盟戦争)が,敗北して領土の半分近くを割譲したうえ,成人男子の大半が戦死,人口は6分の1以下に激減したという。さらに,1932~35年のボリビアとのチャコ戦争の戦禍も,国家再建を大きく遅らせる原因となった。
| 東京書籍 「世界各国要覧」 JLogosID : 14051120 |