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古典派
【こてんは】


Classic School

狭義の古典派経済学とは、アダム・スミス、デイヴィット・リカード、マルサスらによって提唱された経済学の体系を指す。財の価値は、投下された労働量によって決まるという労働価値説を基礎に置く。アダム・スミスの「神の見えざる手」の主張に見られるとおり、個々の経済主体による私利の追求が全体の利益向上にもつながるとの考えで、政府による経済への介入は好ましくないとする自由放任主義(レッセフェール)の立場をとる。カール・マルクスは、労働価値説によらない古典派以前の経済学を俗流経済学と呼んで区別した。労働価値説自体はその後マルクスに受け継がれ、マルクスが古典派経済学を否定する中でより完成されたものになっていく。
古典派経済学とは、古典派経済学の自由主義的な経済感を引き継ぎ、その後の理論経済学の支柱となった限界効用理論に結び付けることによって発展した経済学である。19世紀後半から20世紀前半にかけ、リカード、J.S.ミル、A.マーシャル、A.C.ピグーなどによって確立された。スミスらの古典派の価値理論が、もっぱら労働量に注目した供給側の価値理論だったのに対し、限界効用理論に基づく新古典派の価値理論は、需要側の効用を重視したより主観的な価値理論と言える。新古典派の主張は、価格の伸縮により常に供給に等しい需要が生み出されるというセイの法則に基づき、完全雇用を前提としている。そのため、1930年代の大恐慌をうまく説明できず、ケインズ経済学の勃興を許すことになる。
古典派総合とは、ケインズ経済学とそれまでの新古典派経済学を経済政策へのインプリケーションを探る立場から統合しようとした試みで、P.サミュエルソンが確立した。価格が硬直的で、完全雇用が達成されない短期ではケインジアン的な財政・金融政策が有効で、価格が伸縮し、完全雇用が達成される長期では新古典派が主張する通り、自由な経済活動に任せるのが有効とする。1970年代にスタグフレーションが発生するまでは、支配的な考え方であった。今でもマクロ経済学の入門書はこの枠組みに従う構成となっているものが多い。
古典派とマネタリズムはほぼ同義とみなされる場合も多いが、あえて区別する場合は、ミルトン・フリードマンに代表される主張をマネタリズムと呼ぶ。マネタリズムの主張者をマネタリスト、また、フリ-ドマンが所属した大学の名をとってシカゴ学派とも言う。フリードマンの主張の基礎にあるのは貨幣数量説で、裁量的な財政・金融政策は効果がなく、可能なのは自然失業率の近辺に期待インフレ率を安定させる程度だとし、一定のペースで通貨供給を増やす政策(k%ルール)を推奨した。フリードマンは、ケインズ理論に基づく裁量的な財政・金融政策が、スタグフレーションを招くことを「予言」し、これが現実のものとなったために、1970年代以降、ケインズ経済学は急速に衰退に向かうこととなった。フリードマンの指摘と、「ルーカス批判」により、伝統的なケインズ経済学は衰退に向かうが、とりわけルーカス批判以降、マクロ経済学は、個々の個人や企業のどのような行動様式を前提に置くかという、いわゆるミクロ的基礎づけが必要不可欠なものとなっていく。R.ルーカスの合理的期待仮説や、リアル・ビジネス・サイクルの理論など、完全なミクロ的基礎づけを持つ(両者とも各経済主体の合理的な行動を前提)理論を、新しい古典派(ニュークラシカル)と呼び、新古典派(ネオクラシカル)と区別することがある。
【参照キーワード】

限界効用
合理的期待仮説
リアル・ビジネス・サイクル理論
ルーカス批判
ケインズ理論




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「日経ビジネス 経済・経営用語辞典」
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