検索結果一覧
141件Hitしました
21から10件/141件中
![]() | 加養[関東地方] |
鬼怒川中流の小湾曲部の左岸,小貝川中流の小湾曲部の右岸に位置し,両川のほぼ中間の八間堀川の起点にあたる。古代毛野川の氾濫原の跡で地味肥沃,碁盤の目のように整備された集落内の道路と,南に続く水田の水路・道路の区画は,古代の条里の跡という(下妻市史)。「多賀谷家氏族旗下諸家臣」の「旗下之面々」の中に「野手治部左衛門・舎弟雅楽亮〈千葉一族・総州野手本国也,文明年中ヨリ加養住居〉」とあるが(下妻市史料),館坪には屋敷は残らず,同地には真言宗東光寺が現存。東光寺の過去帳には野手治部をはじめ一族の戒名が記載され,千葉県野栄町野手に城跡があり,天正年間頃小田原北条氏に攻められて落城,城主野手氏は常陸下妻の多賀谷氏を頼り下総の嘉陽に居住したという記録が野栄町にあることから,野手治部兄弟が当地の館主と考えられる。なお,「多賀谷氏并御家中過去帳抜書」に「妙照禅定尼〈下妻加養伊藤丹波守殿御内方,天正十六年八月卄二日〉」とあるが(常総遺文/下妻市史料),伊藤氏については不明。
【加養村(近世)】 江戸期〜明治22年の村名。
【加養(近代)】 明治22年〜現在の大字名。
