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明治22年〜昭和29年の羽咋郡の自治体名。米出【こめだし】・今浜・今浜新・麦生【むぎう】4か村が合併して成立。旧村名を継承した4大字を編成。大字今浜に役場を設置。村名の由来は末森城跡の西方に位置することによる(合併誌)。戸数・人口は明治22年501・2,363,大正9年375・1,175。昭和28年の世帯数474・人口2,444。明治32年当村と北荘【きたしよう】村・柏崎【かしわざき】村,同36年北荘村,さらに同39年日露戦争により疲弊した農村の再建策の一環として,当村と柏崎村・中荘【なかしよう】村・北荘村を合併する案があったが実現しなかった(同前)。明治25年麦生小学校を末森村立尋常小学校と改称し,末森・柏崎・北荘3か村組合立高等小学校設立。明治12年にコレラの大流行があり,その後もたびたび流行し,さらに赤痢も明治13年ごろから流行し,同32年には大流行となり,同43年隔離病舎建設が認可された(羽咋郡誌)。これに先立つ明治29年村共有山林中に同病舎が設けられていたが,交通や飲料水などが不便であったため,同41年の赤痢患者発生の際には民家を借り上げて収容したという。同43年建設のものは,昭和23年第2次大戦後の住宅難の中で移転改築され村営住宅に用いられた(押水町史)。明治23〜24年医師鈴木秀英は村民1,800余名に種痘を無料で施した(末森村史/押水町史)。大正15年勤労青年の軍事訓練に重点を置いた青年訓練所が設置された。同訓練所は明治期から存した農業補習学校と昭和10年に合併し青年学校となった(押水町史)。産業では海辺に面しているため漁家が比較的多く,明治41年専業漁戸10・同兼業10,専業漁人20・同兼業50,漁船61艘で,漁船保有率が高く,漁船漁業が発達していたことが知られる。中心は耕地の少ない大字今浜・米出であった(同前)。明治42年養蚕組合が結成され,養蚕業の発展と養蚕農家の経営改善の推進役となった。大正4年の職業別戸数は農業111・漁業12・工業10・商業85・自由業8・その他118。商業関係者が多いのは大字今浜・米出が回船業で栄えた歴史を有するためである。昭和26年産業従事別戸数は農業320,水産および養殖業40,建設業10,製造業20,卸・小売業20,金融・保険業3,運輸通信業1,サービス業24,公務2。昭和25年の1戸当たり平均農地面積は4反6畝で零細化が激しい。昭和24年小学校内に公民館本館を,麦生分館を妙法輪寺内に,米出分館を専行寺内に設置,翌25年今浜分館・新道分館が設置された。同27年保育所設置。同年相見川の改修を決定し,翌28年末森村土地改良区を設立し,工事を施行することになった(同前)。昭和29年北大海【きたおおみ】村・北荘村・中荘村・柏崎村と合併して押水町となる。従来の4大字は同町の大字に継承された。
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