江戸時代にも大食い競争があった!?
江戸時代にもフードバトル、大食い競争がありました。元禄七~一六年(一六九四~一七〇三年)までの江戸を中心としたよもやま話を書き記した『元禄世間咄風聞集』に、大飯食いの旗本の話が出てきます。
三代将軍家光による、日光東照宮のつくり替え事業の総監督に、甲斐の谷村城主、秋本但馬守泰朝が就任しました。あるとき、日光に住む一応という僧侶が泰朝のもとを訪れ、「あなたの家来の普請奉行の庄田様は大食漢として、江戸で有名だそうですが、自分はソバ切りなら食い負けることはないはず。勝負させて下さい」と申し出ました(そば切りとは、今のように麺状に切ったそばのことで、江戸時代以前は、そばがきしかありませんでした)。
これはいい余興になると、泰朝は二人を陣屋に招いてソバ切りの大食い競争をさせます。ところが、なかなか勝負がつかないので、庄田は「米びつにソバを入れ、直接汁をかけて食べよう」と提案します。これでは勝ち目はないと、一応はギブアップします。
あとで台所を調べたところ、庄田は飯椀で五〇杯を平らげて帰ったことがわかりました。さらには、自分の宿屋に戻り湯漬を食べたといいます。
この評判が、将軍家光の耳にも入り、御前でその食べっぷりを披露することとなります。なんと柿一〇〇個、砂糖一〇斤(約六キロ)、を平らげたといいます。
| 角川学芸出版 「話を盛りあげる究極の雑学」 JLogosID : 5180314 |