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那須扇状地
【なすせんじょうち】


那須野ケ原台地ともいう。県北部に位置し,那珂川・熊川・蛇尾(さび)川・箒(ほうき)川などによって形成された複合扇状地。北と東を那珂川,南を箒川,西を那須・帝釈(たいしやく)山地によって区切られる。面積436km(^2)。高度は北西部に高く扇頂部で約600m,低い南東部で約130mで,扇面はかつて扇状地を形成した諸河川によって開析されて台地となっており,一部地域を除いて明治期まで未開のまま残されて,那須野や那須野ケ原と呼ばれてきた。扇状地は形成年代の古い順に金丸原面・那須野面・高林面・百村面・湯宮面・穴沢面・折戸面・横林面に区分されている(阿久津1962)。さらに,扇端部付近には南の喜連川(きつれがわ)丘陵と形成を同じくする権現山丘陵が4列雁行している。上記諸地形面のうち金丸原面は扇端部に4か所に分かれて分布し,新期の諸面より勾配が緩やかで扇央部付近で那須野面に移行する。那須野面は扇央部を中心に那須扇状地に広く分布する地形面で,扇状地の主部をつくっている。この面を構成する那須野砂礫層は,第四系の川崎層群に不整合に堆積し,厚い所で30mを超える。この砂礫層の上に0.5~2.5mの火山灰層(宝木・田原ローム層)が重なる。那須野面より勾配の急な新期の面は扇頂部に分布する。高林面は熊川沿いに黒磯市箕輪付近まで分布し,北部はより新期の百村面・穴沢面に覆われる。湯宮面は蛇尾川が那須野面上に砂礫を堆積して形成した扇状地で,この面が開析されて折戸面・横林面が形成された。扇状地中央を流れる蛇尾川や熊川は扇央部で伏流して水無川となっており,旧奥州街道付近で湧水している。当扇状地の発達については,次のように考えられている。「基盤の川崎層群などの堆積が終わったころ,扇頂部付近を南北に走る関谷構造線の断層運動があって,那須野ケ原が凹地となり,これに北西の山地から流入する河川が金丸砂礫を堆積し」金丸原面が形成され,「ついで,基準面が低下して基盤岩石からなる面や金丸原面は浸食され,より低位の那須野面が形成された。宝木ロームが堆積した頃に関谷構造線がふたたび活動して,那須野面の扇頂部に新期扇状地が形成された」(日本地誌1968)。厚い砂礫層が堆積する当扇状地は水に乏しく,土壌の発達が悪くやせており,冷涼な気候とも相まってなかなか開発は進まなかった。明治以前にも巻川用水,旧木ノ俣用水,蟇沼(ひきぬま)用水などがあったが,ごく一部の地域や特定の目的のための用水であった。明治に入り本格的な開拓の気運が起こり,印南丈作・矢板武らの那須開墾社,三島通庸の肇耕社,松方正義の松方農場をはじめ数多くの明治政府の高官や華族の手になる大農場が設立された。しかし,用水の問題はここでも開発の妨げとなり,印南・矢板らは那珂川から取水し,当扇状地を横断する大用水路の計画を立てた。この那須疏水の幹線水路が明治18年に完成し,広い範囲に給水できるようになり,開発は飛躍的に進展した。さらに第2次大戦後,埼玉(黒磯市)や金丸原(大田原市)など旧軍用地跡を中心に多くの開拓団が入植した。現在は県の重要な穀倉地帯となっている。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
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