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田安台
【たやすだい】


田安原ともいった(東京地理志料)。現行の千代田区北ノ丸公園付近一帯。田安村があったというが未詳(案内)。田安の名は「当代記」「慶長見聞集」にも見える。「砂子」に「ここより下総・安房の方まで限りなく見えて絶景の地なり。むかし正月廿六日・七月廿六日の夜,月のでしほに龍燈のあがるをこの台にておがむとて,数万の男女経念仏して夜をあかしけるなり。今はこの事なし」とある。田安の大明神(現在の津久土神社)があった(紫の一本)。徳川氏入国当時あった民家や田畑は牛込寺(うしごめてら)町・白銀(しろがね)町辺りに移転させられ,跡は武家地となった。内藤清成など代官が居住したことから御代官町(正保武鑑)と呼ばれた。寛文年間まで北之丸徳川秀忠の娘天樹院(千姫)の住んだ三之丸,徳川家光夫人本理院の住んだ中之丸,甲府宰相徳川綱重の住んだ竹橋御殿,外様大名の任子(人質)を住まわせた証人屋敷,英勝院などが住んでいた比丘尼屋敷・鷹匠(たかじよう)町等があった。寛文年間,火除地となり植溜原といわれ,正徳・享保の頃は馬場(正徳年間以降,朝鮮馬場といった)・弓場・鉄砲場が設けられた。享保年間の一時期,水野出羽守忠周が居住したこともある。同16年に田安家,宝暦8年に清水家の屋敷が置かれ,幕末に至る。明治2年,屋敷は除かれ,東京鎮台近衛兵営が置かれ,同8年以降,東・西代官町の町名がつけられた(東京地理志料)。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7062354