100辞書・辞典一括検索

JLogos

33

錦町
【にしきちょう】


(近代)昭和10年~現在の米子市の町名。1~3丁目がある。もとは1丁目は米子市角盤町2丁目の一部,2丁目は米子市角盤町3丁目の一部,3丁目は米子市角盤町4丁目・立町4丁目の各一部。町名の由来は西に錦海(中海)を眺める地として俗謡の東大山西錦海の文句にちなむ(米子市制十五周年史)。大正11年より昭和8年にかけての住宅組合による281戸(富士見町を含む)の住宅建設に始まり,一面の桑畑が新興住宅地化し,昭和11年には地内の補助街路として16路線が計画決定された(米子自治史)。3丁目地内の日本製糸株式会社は,昭和12年には米子市最高の従業員をかかえ,その数男24・女646であった。同15年旗ケ崎(現三旗町)の伯西社と合併し,さらに同17年日本レイヨンと合併,合併とともに本工場での生産は行われなくなった。同30年からは敷地の一部が自動車学校として同40年まで使用されたり,建物の一部が洋裁学校や私立米子北高校の仮校舎(昭和33年から1年間)としても利用された。同40年代になると跡地に百貨店の本部・倉庫,銀行などができた。同47年には米子市唯一の乳児保育施設ねむの木園,同56年には米子西保育園が開設された。世帯数・人口は,昭和10年443・1,990,同30年704・2,750,同40年838・2,750,同50年791・2,223。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7176341