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向江田
【むこうえた】


旧国名:備後

「むかいえた」とも,単に江田とも称する。三次(みよし)盆地の南東。村名について「芸藩通志」は三谿郡西部の15か村を江田荘とし,その中でこの村だけが馬洗川の北岸にあるので向江田と呼ぶとしている。「和名抄」三谿郡江田郷の中心をなす地域とみられる。磚積基壇をもち法起寺式伽藍配置の寺町古代寺院跡は,「日本霊異記」に載す三谷寺跡と推定されている。中世には江田氏の支配下にあり,同氏の本拠天良山城があった。地内池田には,出雲佐野城主塩谷興久の子で乱をさけてこの地に隠れ天正19年死した盛王丸の墓(芸藩通志)がある。八幡神社は天正6年三谿郡辻村八幡宮より勧請というが(双三郡誌),盛王丸が創建とする説もある(芸藩通志)。古代三谷寺跡(寺町)に江田氏の祈願所で七堂伽藍,5院91坊の規模をもつ蓮台山金剛院と称す興法寺があったが,同氏滅亡のとき焼失したといい,曹洞宗大応山無量寺は興法寺子院の1つという(芸藩通志)。寺町については16世紀半ば頃の大内氏より毛利元就宛の書状(吉川家文書)に「備州寺町郷依為江田本領……江田江被返遣由承候」とある。
向江田村(中世)】 戦国期に見える村名。
向江田村(近世)】 江戸期~明治22年の村名。
向江田(近代)】 明治22年~昭和29年の和田村の大字名。
向江田町(近代)】 昭和29年~現在の三次市の町名。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7191226