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入野の松原
【いりののまつばら】


幡多郡大方町入野にある松原。谷真潮の「西浦廻見日記」に,「昔ハ入野の松原六十余町続て吹上川迄生たりしか,亥の大変(宝永4年の地震津波)に松原こけて砂原となれりとそ,すへて此浜本田なりしか,その時に浜となれりと云,此松ハ秦氏の老谷忠兵衛罪徒をして植しめしよしいへり」とある(東西廻浦日記)。吉田孝世の「土佐物語」は,「入野の浜に出て,暫く一見あり,誠に無双の景地かな,心あらん人に見せばやといひし,難波わたりにも劣るまじけれど,あまざかる鄙なれば知る人もなく,名所の数に入らず」と記している。江戸期には,すでに景観を誇る松原であったことがわかる。加持川と蠣瀬川の間,北に八丁山を負い,南に太平洋の黒潮を望むこの海浜は,土佐湾西岸に発達した最大の砂浜で,後背に展開する入野の松原は,種崎(高知市)の千松公園,和食(わじき)(安芸市)の琴浜の松林などとともに,土佐では屈指の松原である。大正15年5月8日,馬場孤蝶は「足摺は靄にうすれて青の海入野の磯に寄する白波」とうたった。この磯では,尊良親王の妃にまつわる伝承があり,小袖貝と呼ばれる二枚貝もとれる。「西浦廻見日記」には,「袖貝は三月頃蛤とるもの稀にとること有」と記されている(東西廻浦日記)。昭和43年10月,加茂神社の近くの松原に,川端康成の筆になる「上林暁生誕の地」の碑が建ち,上林の「梢に咲いてゐる花よりも地に散つてゐる花を美しいとおもふ」が刻まれている。この碑の20mほど前方には,川村八郎の歌碑「過ぎゆきはなべて寂しと雨あとの下駄にはりつく花びらをはぐ」「流れもの砂に乾ける夕浜に引あげてくる漁舟白し」(昭和43年7月建立)もある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7204111