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舟志湾
【しゅうしわん】


対馬の北東部,上対馬町にある湾。東の対馬海峡から深く湾入する。湾口北岸の唐舟志と南岸の五根緒の赤崎まで約1km,南の塔ノ崎まで約2km。湾内は細長い半島によって二分され,北の入江を浜久須浦,南の入江を舟志浦というが,舟志浦よりさらに北に分かれた大増浦があり,それぞれの浦には集落がある。いずれも中世史料に見える古い村で,なかでも久須は「和名抄」に見える古代久須郷の主邑であり,浜久須の朝日山古墳は5世紀前半の主要な遺跡,また同地にある霹靂神社は式内社に比定される有力な論社である。舟志には弥生時代の石剣や銅矛を祀った神社があり,古くから開けた所であることをうかがわせるが,この地は水路と陸路を結んで四方に道が通じていた。湾口北部の唐舟志は,宗家御判物写(県史史料編1)に見える唐郡の主邑で,宗氏一族を郡主として朝鮮にも通交し,盛んな一時期があったが,戦国期には豊崎郡に吸収されている。この浦に北斗星を祀る航海神妙見神社があった事情を考え合わせると,海外渡航の泊地であったことがうなずける。南岸の五根緒はもと湾内の南浦にあったが,明治12~14年の間に現在地に村移りしたもので,旧跡を今も元五根緒という。湾内半島部に近代になって加瀬ケ浦という一集落が形成されたが,昭和46年に廃村となり,航空機などに方位測定の電波を出すオメガ局が建設され,高さ455mの塔が天空にそびえ,新しい風景をかもしている。湾口の銭島には,永正7年に朝鮮で戦死した宗盛弘の祠(高崎神社)がある。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7221166