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仁位湾
【にいわん】


対馬の中央部,下県(しもあがた)郡豊玉町仁位にある湾。西の浅海大口から湾入した大きな入江で,仁位浦ともいうが,湾内に大石・嵯峨・佐志賀・貝口・佐保・卯麦・糠・仁位の諸浦があるので,仁位浦は狭義に限定して,全体を呼ぶときは仁位湾という。湾口の一重崎から仁位浜まで約6kmある深い入江で,現在真珠養殖が盛んである。湾岸には弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が多く,特に仁位浦・佐保浦・貝口浦の集中度が高い。分布密度の濃厚さは島内に並ぶ所がなく,出土資料の貴重さにおいても他に比類がない。殊に大量15口の広形銅矛を一括出土した黒島遺跡,多種多様の舶載青銅器を一括出土した佐保の遺跡が知られ,その他にも国産品と舶載品を共伴した例が多いことから,「魏志倭人伝」にいう「南北に市糴」した対馬の中心が,この湾岸にあったことが考察される。なお延喜式内名神大社和多都美神社と同式内波良波神社があって,現在不明の大島神社(同式内社)も仁位にあったといわれるなど,この入江の辺に倭の水人の本拠があったのではないかとみられている。仁位は「和名抄」にはないが,古代仁位郷があったことは確実のようで(地理志料),中世には仁位郡があった。南北朝期には,対馬の守護となった宗(惟宗)氏が仁位にいたが,室町期には守護職は佐賀(峰町)の宗家に移り,仁位は守護代となっている。応永の外寇に際し,浅茅(あそう)湾に攻め入った朝鮮軍が仁位を目指したことから,糠岳の合戦が行われ,その戦況は「宗氏家譜」と「李朝実録」の双方に,それぞれの立場から詳述されている。湾口東岸の遠見山は近世に遠見番所が置かれた所で,のちの日清・日露戦争頃は大石の山上に砲台が築かれた。和多都美神社社叢は照葉樹林の原始林として県天然記念物に指定され,海中に立った石の鳥居と,渚にある社殿と相まって,対馬観光の一名所ともなっている。仁位の名義は瓊(に)とする説が有力だが,この音がニイとなるのは,紀(き)の国が紀伊となったことに類似する。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典」
JLogosID : 7222105